高知新聞に、細野さんライブについての文章を書きました。

2008年 8月19日 20日     高知新聞 学芸欄に掲載
 


特別寄稿 祥見知生

音楽の神様・細野晴臣さんが高知にやってくる。 


 
  音楽には特別な力がある。それは人のこころの奥深くに入り込み、日々人を励まし、ともに生きる力を与える。
カラオケや着信音ビジネスで次から次へと生み出されては消えていく「商品」とはまったく違う、音の世界の話である。

 「ティン・パン・アレー時代に来たことがあるかも?」ご本人も記憶が定かではないほど、この何十年と縁がなかった高知に、この夏、音楽家・細野晴臣さんがやってくる。
開園50周年を迎えた高知県立牧野植物園「夜の植物園」音楽イベントで、この日のための特別編成されたユニットを連れての夢のライブである。
その名も「ドリームタイム」〈ほかの出演者雲龍、高野寛、浜口茂外也、鳥居誠。八月二十四日 会場/同植物園 展示館 階段広場。チケットは完売〉。
 
今回の細野さんIN高知のものがたりの始まりは、実にたわいもない会話であった。
昨年夏、ハナレグミ(永積タカシソロユニット)のライブの会場下見に同植物園を訪れた後だったろうか、
担当者の岡林里佳さん(植物園普及教育課)と高知市内の中央公園近くを歩いていて、たまたま細野さんの話になったのだ。
彼女はそのとき、「細野さんを牧野に呼びたいけれど、絶対無理でしょうね」と言った。わたしはすかさず、「話してみようか」と言った。
彼女はこのとき「シヨウケンさん、何言うが!?」」と思ったらしい。

 わたしと細野さんは90年代に何度かインタビューさせていただいた縁で、
青森県森田村の野外円形劇場でアイヌ民族や縄文文化に関連するコンサートツアーに同行させていただいたり、
細野さんを通じて出会った笛奏者雲龍さんをつながりとしてお付き合いがある。

 神奈川県鎌倉在住の身にとって、高知はいつの間にか縁深い土地であるが、
その理由のひとつが牧野富太郎博士の功績を紹介する県立牧野植物園の存在がある。
牧野博士の植物を敬い、植物から学ぶ思想をわたしは心から尊敬している。
牧野博士の考えはやさしい言葉で言うならば「人間ばかりが偉いのではない。
謙虚に植物たちから学ぶべきことがある」ということにつきるのではないか。
そして、そのことを、かれこれ15年以上も前にわたしに教えてくれた人物こそ、細野晴臣さんなのである。

 当時細野さんは自分の本棚からネイティブインディアンの書『ローリング・サンダー』(ダグ・ボイド著 平河出版社)を紹介してくれ、
お会いするたびに自然界の一部である人間がどうふるまうべきかのヒントを与えてくれた。
当時わたしが書いたインタビュー記事を読み返しても、人間の作り出した都市文明の限界について語っている。
「地球温暖化」「エコロジー」という言葉がいまほど一般的ではなかった時代、細野さんはすでに先を見ていたのである。

 ある日細野さんは言ったことがある。「高野寛君がやってきて言うんだよ、
『ホソノさん、大変だ、アスファルトの下には土がある。土がうごめいているんだ』って」その感覚こそが大事なのだ、と細野さんは教えてくれたように思う。
この「アスファルトの下には土がある」という言葉は、わたしのなかでずっと生きつづけている。
今年五月、植物園の芝生広場で風に吹かれながら行ったインタビューで細野さんが言った印象的な言葉がある。
「人間と自然と分けずに考えればいい」。これから地球がどうなっていくのか、その分岐点に立つわたしたちは、我々も自然の一部であることを深く理解する必要がある。 
 今回は特別に、先に紹介した高野寛さんも参加してくれることになった。
 「夜のとばりの入り口で行うライブ、何が起こるかわからない…そのことに、いまドキドキしますね」と細野さんは言う。
さて、真夏の高知でどんな音を響かせてくれるだろうか。(つづく)

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 ものがたりは、時として不思議なつながりを生み出す。今から五年ほど前になるだろうか、
初めて高知県立牧野植物園を訪ねた年、今回のライブ会場となる「階段広場」を見て、
すぐに笛奏者雲龍さんにメールを送った。「シェイクスピアの『真夏の夜の夢』を上演するのにぴったりな半野外の劇場です」。
 細野晴臣さんの今回のライブは細野さん自身が好きなアポリジニの言葉である「ドリームタイム」=夢の時間というライブ名に決まった。
夜の植物園の「真夏の夢」? これは、果たして、偶然なのだろうか。細野さんにやや興奮してこのことを伝えると、「ライブはまさに真夏の夜の夢になると思う」という言葉が返ってきた。

 はっぴいえんど、ティン・パン・アレー、YMOと、日本のポップス界において常に先を走ってきた細野晴臣さんは、
多くの人びとに影響を与えてきた。当時中高生だったYMO世代と呼ばれた彼らは、現在どの業界でも中堅としての働き、自分を表現している。

 県立牧野植物園「夜の植物園」音楽イベントの舞台音響を担当している西川秀宏さん(トランスライト社)もその一人である。
昨年の同植物園で行ったハナレグミライブの音響をお願いしたのだが、
その際、機材の片付けをしている西川さんに「来年は細野さんを呼ぼうと思うのですよ」と伝えると、
彼の顔色が変わった。声が震え「そりゃ、大変なことになりますよ」と言ったが、大変なことになったのは彼自身のようだった。
今年5月に行った竹林寺の笛奏者雲龍のライブにトークゲストとしてあらわれた細野さんの前で、
少年のように顔を赤らめ「YMOの音楽に出合ってシンセサイザーを買いました」と告白していた。
実際、この音楽との邂逅が彼の人生を変えたのは真実らしい。「ビートルズが音楽の世界を変えたように、
YMOがその後の音楽に与えた影響は計り知れないと思います。音楽の仕事をして生きていきたい、そう思えたのは、細野さんの音楽に出合ったおかげです」と彼は言う。

 高知市内でバーを営む小松興二さんも、音楽を真ん中に生きている高知人の一人である。
クラムボンの原田郁子さんやタテタカコさんのライブを行うこの「バー・モザイク」(高知市本町)は、高知の音楽シーンにとって重要な場所である。
当時YMOは若者のファッションにも絶大な影響力があった。その時代の真っ只中に十代を送った小松さんは、自身と音楽の関係について
「ぼくは音楽に助けられていると思います」と語る。小松さんにとって音楽とは何よりもかけがえのないものであり、自身を励まし、生きていくことを照らす力になるものである。
かつて、細野さんはインタビューに答えて「ぼくらはシリアスな時代に生きている。そんななかでぼくは音楽を頼りに生きている」と語ってくれたことがあったが、
まさに、同じ言葉で、音楽の本質を小松さんも語るのである。

 さて、昨年秋、植物園の岡林里佳さんと東京の細野さんの事務所を一緒に訪ねた折のこと。
このときわたしが何よりも細野さんに伝えたかったのは、「高知には音楽を心底愛している人がいる」ということだった。
その言葉に「うん、それはいいね」と音楽家は低い声でうなづいた。そしてめでたく今回のライブが実現することが決まったのである。
 YMO世代の彼らは細野さんのことを「音楽の神様」と呼ぶ。音楽を愛する人々が集う真夏の夜の夢のライブはもうすぐ開演である。

   おわり